義理を欠いてはいけない、感謝の念を!

調子が良いとき、ことが上手くいったとき、自分の努力だけで成し遂げたのではないことを肝に銘じておかなくてはいけません。

「いいや、誰も助けてはくれなかった、私が独りで一生懸命調べて考えて、頑張って動いたから得られた成果だ」、「一生懸命に頑張っから上手くいっているのに、否定された。納得がいかない」と思ったら、立ち止まって休憩しましょう。

確かにその通りかもしれません。孤独の中手探りで頑張っていた間、誰も「大丈夫?」と声を掛けてくれなかったでしょうし、順調に進んでいるにもかかわらず異なる部分に着目して否定されたでしょう。それでも、気づかないところで、見えないところで誰かが関わっていたはずです。人間は社会的生き物なので、無人島で暮らすのでない限り、たった独りで何かを成すことはあり得ません。誰かが関わっていたのだから、見ていた人達がいるはずです。

忙しいという字は「心を亡くす」と書きます。心がなくなると、目の前に存在しているものも目に入らなくなります。だから、立ち止まって休憩し、気持ちを整えましょう。

手伝ってくれなかった人、声を掛けてくれなかった人、叱責した人、上から目線で接してきた人。そんな人達のことを落ち着いて思い出すと、その人達とは笑いながら楽しく話をした日もあったのではないでしょうか。自分にとっては嫌なやり取りでも、そのおかげで失敗を回避できたことはありませんでしたか。

また、孤独や途方に暮れる感覚や怒りでさえも、その経験を昇華させて自分のモノにしてしまえば、自分ならどうするかという指針、芯になります。ブレなくなるので、人間としての深みも増します。

特に何らかの成果が得られた時は、周囲の人に優しい笑顔でひと言「ありがとう」と言いましょう。たとえ微塵も思っていなくても、笑顔を作って感謝の言葉を発すると、それがホンモノになります。

昔は頻繫にやり取りがあって腹が立つこともあったけど最近すっかりご無沙汰している人はいませんか?その人と過ごした時間は無駄でしたか?その後何かの役に立っていませんか?義理を欠いてはいけない。昔から言い古されたことですが、全くもってその通りです。

この記事を書いた人

Felices

いよいよ人生の折り返し地点にたどり着き、これからの人生を実りあるものにしていくために、これまでとは違ったアプローチをしてみようと思いつきました。即ち、ひたすらインプットして経験してきたことをアウトプットしていこうと思っています。
とはいえ、ふとした瞬間に思い浮かぶ様々な事や興味を持ったことも気楽に書き綴っていくつもりです。